この調査は、「アジア・イスラーム圏における民主化過程とNGOの役割に関する比較研究」(文部科学省科学研究費補助金基盤研究、代表:宮原辰夫文教大学教授)の一環としておこないました。
私の担当は、パキスタンのNGO組織です。2002年夏に約3週間の調査を行い、7年ぶりにパキスタン北部を訪問しました。


8月21日
1.KADO
Karakorum Area Development Organization
 
KADOは、フンザ谷で活動するローカルNGOである。1995年に、Karakoram Handicraft Promotion Society(KHPS)として1995年フンザ谷にて開始。1998年に非営利企業KADOとなり、現在にいたる。女性による手工芸品の製作・販売を中心に、障害者の作業所運営、伝統工芸の再興、ごみ処理、開発プログラムへのITの導入などの事業をおこなっている。
組織運営は、35名の代表によって構成される総会と、11名の理事会が担う。全員ボランティアである。
まず、フンザ観光の中心地カリーマーバードに程近いオフィスをたずね、Marketing ConsultantのJalal-ud-Din氏に インタビューをおこなった。その後、氏に案内されて障害者や女性の作業所を訪問した。
 
手工芸品
KADOが最も力を入れているのが、伝統的な手工芸品の製作と販売である。
フンザには、シャルマ(Sharma)と呼ばれる伝統的な床敷がある。ヤクもしくはヤギの毛で作られ、丈夫で断熱性に優れている。スイス人の織物専門家が、フンザで調査をおこない、このシャルマを「発見」したことがきっかけとなって、1996年にKarakoram Handicraft Development Programme(KHDP)が設立された。KHDPの設立には、KADOに加えて、Swiss Agency for Development and Cooperation(SDC)が資金援助、Aga Khan Cultural Services(AKCS)が技術支援の形で参加している。
 
 
現在、KHDPには2000世帯(2800人)の女性が参加し、90種類の手工芸品を自宅で製作している。これら女性の手作りの品々は、KHDPの7ヶ所の作業場で完成品として仕上げられる。
Thread Net Hunzaのブランド名を冠せられた商品の販売は、主として国内の小売商18業者を通じておこなわれている(ギルギット、イスラーマーバード、カラーチー)。海外の輸出先としては、アメリカ、イギリス、オーストラリア、オーストリア、カナダ等があり、インターネットでの販売もおこなわれている。しかし何といっても、最大のマーケットはT地元フンザである。この「不老長寿」の谷を訪れる外国人ツーリストにおみやげとして販売することで、これまで実績を伸ばしてきた。
 
 
2002年のシーズンは、アフガン空爆やインド・パキスタン間の軍事的緊張を受けて、フンザにツーリストの姿はほとんどなかった。欧米系ばかりでなく、日本人の姿もきわめてわずかだった。KADOは女性たちの作った製品を買い上げているが、そのほとんどは倉庫にストックとして眠っていた。開始時に200名だった参加者が、現在は2800名に達していることからもわかるように、これまでは右肩上がりで業績が伸びていた。しかし、パキスタンにおけるツーリズムの今後を占うことはかなり難しく、KADOも販売戦略を大きく変えるべきかどうか判断に迷っているようであった。
 
翌22日、ガネーシュ地区の女性の作業所を訪れた際に、2人の中年女性から話を聞くことができた。作業所で働くようになったのは3年前からで、それ以前は自宅で作業をしていたという。2人ともウルドゥー語を解し、はきはきと質問に答えてくれた。
彼女たちは週6日8時間フルに働いている。就業前後に、家事や農作業ももちろんやるので、かなり多忙な毎日を過ごしている。
 
 
教育が進んで、女性は教師、医師、NGO職員といろいろな分野で働くようになった。今後も女性の社会進出はますます進んでいくだろうと、彼女たちは確信している。しかし、自分たちの仕事が、観光産業と密接に関わっていることをはっきりと認識しているにもかかわらず、女性が直接観光産業に従事することはないとの意見であった。それはフンザの価値観にそぐわないと言う。ただし「ギルギットのホテルには、女性マネージャーがいる」と聞いたとたん、「10年くらいのうちには、フンザもそうなるかもしれない」と意見を変えた。フンザの社会変化の方向やスピードは、当のフンザの人々にも予測しがたい面が大いにある。
 
このほか訪問することはできなかったが、KADOは次の下位組織をもっている。
Hunza Environmental Committee(HEC) ごみ問題に取り組んでいる。
Hunza Arts and Cultural Forum(HACF) 伝統楽器の製作・販売
 

「KADOの商品を売る土産物屋(ギルギット)」
 
2.バルティット城見学
Aga Khan Trust for Culture(AKTC)が修復し、現在Baltit Heritage Trust(BHT)が管理するバルティット城を見学。1974年まで、フンザを統治していた領主(ミール)のかつての居城である。老朽化がはなはだしくなったところを、AKTCが保存修復工事に着手、5年間の歳月と280万ドルを投入して甦らせた。外国人の入場料はRs.300とやや高めだが、英語ガイドによるきちんとした案内がつく。1984年に見学したときと比べると、内部が見違えるほど整えられているのに感心した。フンザは雄大な峰々と氷河で知られているが、この修復によって、バルティット城が再度重要な観光資源として登場したことは間違いない。
 
  「Baltit Heritage Trust作成の絵葉書より」
 
AKTC http://www.akdn.org/agency/aktc_hcsp.html

8月22日
3.GESWS
Gulmit Educational and Social Welfare Society
インタビュー:Rahim Khan(principal, Al-Amin Model School, age 28)
 
グルミット村には、北方地域でも有名なGhulam Dinという社会開発の活動家がいる。このGhulam Din氏を中心に、村人たちが設立したGulmit Organisation for Local Development(GOLD)を訪れた。GOLDの活動は、AKRSPのVO/WO(組合)、水利・衛生事業、図書館、AKHSの地域医療など、さまざまな分野で活動する村内の組織をすべて束ね、社会開発をより自律的に進めることにある。GOLD自体は2001年に設立され、Companies Ordinance(1984年)に登録しているが、下位組織の中にも独自に団体登録しているものがある。Ghulam Din氏がギルギットでの会議に出かけていて不在だったため、下位組織のGESWSが運営する学校で話を聞いた。
GESWSは村の300世帯全部をメンバーとし、学校の管理・運営に責任をもち、Voluntary Social Welfare Agencies Registration and Control Ordinance(1961年)に登録している。実際に訪れたのは、GESWSが運営するAl-Amin Model Schoolである。この学校は、1991年に設立されたグルミット村のパブリック・スクールである(住民が自ら運営する学校)。25名の教職員が、412名の生徒(男241、女171)の教育にあたっている。幼稚園学級(nursery)からgrade10(日本の高校に相当)までをカバーする。授業料は、月額Rs.150-380である。ラヒーム・ハーン氏は28才で校長の重責をになっている。非常に優秀な人材であることが、言葉の端々からうかがわれた。
Al-Amin Model Schoolはその設立時に、British High Commission、ならびに数名の篤志家から資金援助を受けている(援助者の1人として、フンザ研究の大家Hermann Kreutzmannも名を連ねている。パキスタン出発前に東京での会議で顔を合わせていたので、校長先生の口から彼の名前が出たときは驚いた)。また校舎の建設にあたっては、Aga Khan Planning and Building Service(AKPBS)から技術の提供を得てもいる。
グルミット村には、政府の学校と、Aga Khan Education Service(AKES)が運営するDiamond Jubilee School(DJ school)がすでに存在していた。しかしグルミット村の住民は、より質の高い教育を求めて、自分たちで学校を作った。具体的に、かれらが不満を抱いていたのは、「英語教育」と「教師/生徒の人数比」であった。すなわち、比較的少人数のクラスで、徹底して英語による教育をおこなうこと、これが村民の要望なのだった。進学校として有名なAga Khan Higher Secondary Schoolや、Aga Khan Academyに多くの入学者を出している実績を示して、Rahim Khan氏はこの要望に答えていると誇らしげに語った。
ここで、なぜ英語なのか、パキスタンの言語事情を説明しておきたい。パキスタン国内では多くの地域語が話されている。特にパキスタン北部には多くの言語が存在し、フンザではブルーシャースキー語、さらに上流のゴジャール地方(グルミット村も含む)ではワヒー語が話されている。これら地域語の多くは、定まった正書法をもたず、話言葉の域を出ない。新聞・テレビ・ラジオで用いられている国語は、ウルドゥー語となっている。一方、植民地支配者の言語であった英語は、「公用語」として独立後も使用されつづけている。ウルドゥー語はかなりの程度にまで普及しているものの、大学レベルの教育ではほとんど用いられていない。特に科学の分野では、英語一辺倒である。このため「一流大学を出て、いい職を」と考えた場合、結局は役に立たないウルドゥー語で勉強するよりも、充実した英語教育の方が、個人にとって賢明な選択となるわけである。
 
Association of Educational and Social Welfare Societies Hunza
この英語重視の傾向は、地域全体で制度化されている。Association of Educational and Social Welfare Societies Hunzaは、1993年に教員研修を主目的として結成された。現在、Al-Amin Model School を含む14校(生徒数1598名)が加盟している。この協会が、加盟校の教師の質の向上のために、ネイティブのトレーナーによる研修を用意する。トレーナーは、イスラーマーバードのVoluntary Service Overseas(VSO) から送られている。VSOは国際開発NGOであるが、ここでの説明では、海外での英語教育を支援する活動をおこなっているとの印象をえた。
VSO  http://www.oneworld.org/vso/
 
Rahim Khan氏へのインタビューから、若い世代がここ30年の社会変化をどう見ているかについて知ることができた。これはその後のインタビューでも確認されるのだが、1974年のミール制廃止、1982年のAKRSP設立、この2つが最も重要なメルクマールとなっている。王国を廃止した政府のその後の活動は、彼らの中ではほとんど重要視されていない。突然ミール制を廃止した政府は、必要な役所をすぐに設置しなかったし、現行のサービスも評判が悪いからである。
AKRSPの20年間の活動は、灌漑水路や本道へのリンク道路の建設などを通して「開発に対する住民の意識を高めるとともに、具体的な技術サポートを与えてくれた」として、高く評価されている。そしてGOLDは、AKRSPの直接的な支援を離れて、住民組織が独り立ちを始めた、その具体的なありようとして認識されている。
 
補足:カラーコラム・ハイウェイ沿いのグルミット村には、数件のホテルが立っている。カリーマーバードからも遠くないこの村で、観光は重要な産業として認識されている。男性ばかりでなく、女性も間接的に恒常的な収入を得ている(ただし、観光に関する組織は、現在GOLDの傘下にはない)。外国人の女性ツーリストが、村社会の価値観に変化をもたらしていることも、Rahim Khan氏は指摘した。
 
8月23日
4.Gulkin Village Organisation
グルキン村は、グルミット村の隣村である。カラーコラム・ハイウェイからは、やや外れている。
ここでは、まずAKRSPの支援する男性/女性組合のオフィスを訪れた。
インタビュー:Haj Karim (Manager, Gulkin Village Organisation, age 29),
                 Laila Bulbul (Manager, Gulkin Woman Organisation, 28)
 
<グルキン村の組合事務所>

 
グルキン村は、世帯数130、人口1015人。換金作物であるジャガイモ(種芋)栽培が農業の中心となっている。識字率は75.83%である。
ここには、1983年に結成された男性組合(Village Organisation)と女性組合(Woman Organisation)がそれぞれ1つずつある。メンバー数は、364人(VO=163、WO=201)で、村の全世帯をカバーしている。定期的なミーティングのたびに奨励される貯蓄は、一人当たり平均2万6000ルピー。合計で950万ルピーに達している (VO=6.9m、WO=2.6m)。現在の組合の活動の中心は、マイクロクレジットである。さまざまな経験を積み、組合自前の貯金がかなりたまってきた1998年から、その運営は完全に村人自身の手に移行している(それ以前には、NGOであるAKRSPから、組合の貯金を担保に融資を受けていた)。VO/WO内部で、これまでに215人が融資を受け、農業、植林、土地改良、家畜、養鶏、商売さらに教育上の出費等に利用してきた。融資総額は、VOで870万ルピー(1998−2002年)、WOで160万ルピー(1998−1999年)である。貸与期間は1−15ヶ月で、利息は20%である。村の銀行として、きわめて重要な役割を果たしている。
 
5.Gulkin Educational,Social Welfare and Nature Conservation Association
インタビュー:Muhammad Aman (Farmer, age 45), Sifat-ud-Din (Business, 39),
                 Laila Bulbul (Manager, Gulkin Woman Organisation, 28),
                 Saeedullah (government teacher, 41)
 
VO/WOの活動と並行して、グルキン村ではGESWNAが活発な活動をおこなっている。GESWNAは、1993年にVoluntary Social Welfare Agencies Registration and Control Ordinance(1961年)に拠って団体登録をしている。下記の委員会や学校組織を傘下に収めるNGOであり、グルキン村の社会生活のほぼ全般に関わっている。
 
Resource Management Committee
・Water Supply & Maintenance Committee 水利・灌漑
・Tourism Development Committee 観光産業
・Free Grazing Control Committee 家畜の放牧
・Potato & Agri-Product Marketing Committee 農作物のマーケティング
・Construction Committee 建設工事
 
・Nasir-e-Khisrow Model Academy
・Vocational School 女性の職業学校
・Nature Conservation Committee 自然保護
・Sports Club サッカー、ポロ
 
このうち、Nasir-e-Khisrow Model Academy は、先のAl-Amin Model Schoolと同様、Association of Educational and Social Welfare Societies Hunzaのメンバー校であり、英語教育をおこなっている。生徒数は94名、教員は8名である。教師のほとんどは、BAの資格をもっている。
 
Nasir-e-Khisrow Model Academy
 
英語教育の学校1つをとってみても、その運営を維持するには、外部から資金や技術の提供を受ける必要がある。GESWNAは村の窓口として、パキスタン政府のみならず、アーガー・ハーン財団やフンザのKADO、さらには WWF(http://www.panda.org/)、IUCN (http://www.iucn.org/)などと直接交渉している。インタビューの最中に、「AKRSPとの10年は、我々に大きな経験をもたらしてくれた。フンザの男性/女性組合は、もうAKRSPがいなくても自立してやっていけるし、村のNGOも交渉能力を身に付けつつある。AKRSPの資源も限られているのだから、アフガニスタンやタジキスタンで活動すべきだ」との発言を聞いた。これはおごりでも何でもなく、村人が着実に力をつけていることは、短時間の訪問でもはっきりと感じ取ることができた。